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流祖、藪内剣仲の辞世。

藪内剣仲は寛永四年(1627年)五月七日、九十二歳で往生しました。

今の流祖忌は新暦の一か月遅れで行われております。
毎年燕庵にて社中ともどもに濃茶を点て流祖をしのんでいます。

流祖は文字として残しているものはたいへん少なく、
床に伏した剣仲を見舞いに来た春屋和尚と天裕和尚に辞世を進められましたが
剣仲は首を縦には降りませんでした。

よって、藪内家に残された辞世は家族からの希望で天裕和尚によって書きうつされたもので、
狂歌風な辞世三首が残されています。

「吹毛を常にもち色々に
染めし玉の緒はらり截断
極楽に茶の湯あらば御仏と
廻り炭してあわれ遊ばん
くどくどと同じことのみいとなみて
今月今日もとのところに
閑事」

吹毛を常にもち、は春屋和尚から頂いた吹毛剣の語録から来たものでしょう。
この号と茶の湯を心に抱いて往生した剣仲は大変幸せであるとともに極楽までも茶から離れぬ。
と言った心づもりだったことでしょう。

最後に残された「閑事」とは
茶の湯は閑事と見て取れるが外柔内剛のもので厳しいものである。と解します。
(と、先々代御家元が言っておられます。)

剣仲自身が残した書は
「無伝」「臺跡」「寂寥」の三幅のみと言われています。
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剣仲よもやま話②炭点前とか。


炭点前のこと。
ある日、幽斎、織部、剣仲と連れ立って遊山乃帰りに利休を訪ねました。
炉の季節で少しタイミングが悪く火も釜の湯も少し落ちていました。
当然のことではあったのですが利休は炭を直し香を燻した後にお茶を出したそうです。

これ以降、正式な茶事の時には初入りの時に「炭点前」をする。ということになったそうです。
しかし、この辺の茶人さん仲良すぎでしょう。。
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雪の日のこと。
京都の町の雪の日の前の日は一段と底冷えが厳しいものだったことは今も昔も変わらぬようです。
茶事の前日、剣仲は家族のものとともに炭俵のさん俵を庭石の上において
「明日は誰も庭に入らぬように。」
と言ったそうです。
次の日は一面の銀世界であり、
茶事の始まるすぐ前にそのさん俵を取り除くと乾いた飛び石が現れ、
客人が水気で足を取られることがなかったようです。
この様な気配りを何より大事にしたそうなのだとか。

ちなみに炭俵というのが此れ(此れは四角いですけれど。)
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そしてそれの蓋といういみでさん俵があります。(これは米俵のさん俵ですが。。)
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めんどくさいことや細かいことでも客のためになるのであればしなさいということ。
耳が痛いですが頑張りたいものです。

漆継、の修理です^^

本日は修理です^^
お客様の旦那さんのおばあ様から頂いた建水が割れてしまったとのことでお預かりいたしまして修理をさせていただきました。
お預かりしたときは五つに割れてしまっていましたがこのように元通り。
一番外を銀の漆で止めており、内部を朱の漆で止めています。
よってお使いいただいているうちに内側から少しづつ朱の漆が見え隠れするようになるという根来と同じような特徴をもつ修理方法で。

お茶の道具は人によって本当に大事なものであったりすることが良くあります。
そうやって大事にされるから今に受け継がれた古いものがあるのです。
そのようなお手伝いができてうれしい限りです^^

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高橋 道八について。。

今日は道八について少し簡単に。

お茶碗や茶の各々に時折聞かれる「どうはち」という人物。
これは「高橋 道八」をさし茶陶における名工であります。

初代 道八
伊勢亀山藩の侍で名を周平といい、宝暦のころ京都の粟田口で道八という名で陶業に従事する。
号を松風亭、空中という。
文化元年(1804年)没。享年65歳
印は亀甲の中にセの字。故に亀セ道八と呼ばれる。

二代 仁阿弥 道八
初代の息子で父より陶芸を習う。
ほか、奥田頴川より手習いを受け、文化八年五条坂に住み移る。
御室仁和寺より法橋に叙せられ仁の字をもらい受け、
醍醐三宝院より阿弥の称号をうけ仁阿弥 道八を名乗る。
紀州御庭焼・偕楽園窯、四国高松の讃窯、
西本願寺本如上人の露山焼、角倉家の一方堂窯、
備前の虫明焼、播州の東山焼などに従事し活躍。
天保十三年(1842年)六十二歳の折、伏見桃山にて隠居。
桃山焼を製するようになる。安政二年没。七十三歳。

三代 華中亭 道八
仁阿弥 道八の実子で名を光英。華中亭道八を名乗る。
父とともに偕楽園窯や讃窯に従事し、
明治二年に佐賀藩に召されることにより有田焼の研究も行う。
慶応元年(1865年)仁和寺の宮より法橋に叙せられる。
明治十二年六十九歳に没する。
門下に三浦 竹泉などがいる。

四代 華中亭 道八
名を光頼。京都府勧業場の御用係として活躍。青花磁・彫刻・白磁を得意とする。

五代 道八
本名「小川勇之助」。滋賀県甲賀郡出身。四代死去時に子息幼少のため、一時的に名跡を嗣ぐ。

六代 道八
四代次男。本名「英光」、号「華中亭」。先代、及び四代の陶法をつぎ、染付煎茶器に名品がある。

と現在九代目になられるそうです。

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こちらは華中亭 道八の染付唐人筒茶碗(火入れ)。
堂々とした作風ですね。

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そして六代道八作、野村得庵(徳七)絵付けの茶碗。銘を「乃知君子心」(君子の心知るべし)。

どちらも良作です。

良く学ぶこと、よく見ること。良く知ること。

今回は写真はないのですが、道具の真贋というのはいつまでたっても難しくついて回るものです。
どちらかというとジグソーパズルみたいな、、、っていうと怒られそうですが。

今回は佐藤 一斎という方の書に「竹露」という方の賛(絵)がかかれた掛けものでした。
佐藤一斎という方1772~1854年に活躍された儒学者であります。
そして問題の「竹露」。
私からするとこれが藪内流九代家元宝林斎(藪内 竹露)か、どうか。
というのが問題でした。
賛に書かれた筆はどことなく似た書体でありましたが宝林斎は本当に残っている箱が少なく判別が難しいのです。
家元の判も全部を把握しているわけではないし・・・・。
かといって宝林斎は1811年- 1874年。時代的には同じ。。。

箱書きの書体も持っているものが全部ではないしなぁ。
としていると、はこを読めば「父子」の文字?
ん?調べれば。。でました。
佐藤 一斎の娘、竹露女史。

やはり違った。同じ時代に同じ名前の人はやめてほしい(性別違ったけど書体が似てる。っていうか画だしね。)
勉強もっとしないといけませんね。。
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(この写真怒られないかな。。。)

剣仲よもやま話①。。再来形花入とかとか

風炉ももうそろそろで終わりですなあ。
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壱:再来形花生
今日はこの花入れについて。
有名なのは遠州銘のものですが実は最初に作ったのは利休だとか。
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利休が茶人に送った二重切りの花入れをその人が謝って上の輪を割ってしまった。
それを持ちて利休に詫びると利休は上部の背板を外してしまい再来形を作った、というお話ですが。
この壊しちゃった茶人は剣仲さんです。
千家の読み物ではあまりこの二重切りの花入れを贈られた人物について書かれているものがありませんが、
藪内の方の書物では残っています。

弐:「妙喜庵点前」
さらには利休が妙喜庵の茶席開きにて「妙喜庵点前」を剣仲を招き批評を求めたところ、
剣仲の創意に利休が大変感心し、「妙喜庵点前」は剣仲預かりのものになったそうです。
当時は、妙喜庵茶室を作られた茶人がいればそこには剣仲がその点前を教えることになりました。
点前の習いと共に木組みの形が今でも燕庵には保存されているそうです。

剣仲と利休との関係性は本当に別の方向性から茶を見つめていた、
互いに認め合える間柄だったのではないでしょうか。

利休とガチンコで殴り合いしてた剣仲さん、いいと思います。(自流贔屓。)

剣仲③燕庵の変遷。

聚楽のころにはすでに「燕庵」という茶室は存在したという記録があります。
その形状が現存のものと同じということは定かではありません。
しかし、珠光筆の板額はその当時からかけられていたのではないか、と言われています。

「都名所図会」には
古田織部の数寄屋あり大坂動乱の時此家に譲り出陣す これを織部の京座敷と号す。
とあり、
「拾遺都名所図会」は
織部命終の刻此家に譲り拾ふ
と記されています。。

つまり、藪内家が下長者町にあったころに織部から「燕庵」を受け継いでいるのです。
織部の京座敷というと堀川屋敷のものと考えられていますがその屋敷は織部の死後、
藤堂高虎にあたえられ貞享元年(1684年)には茶室も路地も残っていたといわれています。
堀川屋敷の茶室も三畳台目で相伴席があり、愛宕山を眺めるために入口土間庇の軒に突き上げ窓があったそうです。

その茶室が藪内家に贈られたものであるかは定かではありませんが、
同系統の茶室が元和初年度(1615 年~)には藪内家にあったことは間違いありません。
剣仲の好んだ既設のものが織部の好みに調和したものであったことは間違いありません。

剣仲はこの屋敷で寛永四年(1627年)に亡くなっており、
そののち寛永十七年(1640年)二月に藪内家二代真翁が西本願寺に茶道師家として迎えられた際に
現在地に居を移し、剣仲のころの構えを再現したと伝えられています。





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9月19・20日 白川茶会。竹中庵にて。

九月の某日。
京都白川の竹中庵という元々水車小屋であった場所で釜をかけさせていただきました。

多くのお客様とイベントのスタッフさんたちのおかげで大変良い夜を二日にわたって過ごさせていただきました。
夜のお茶会というのも良いものです。

また機会があれば釜をかけさせていただきたい大好きな場所です。



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剣仲②

剣仲は長生きであった記録があります。
古田織部とも交流があったようで織部の妹を妻にもらっており、その媒酌をしたのが利休であったそうです。
弟弟子として剣仲に目をかけていた利休の逸話は多数あります。

妙法院蔵の一巻の奥書には
天正八年 十二月 日宗易(花押)藪内紹知参る
と、あり利休から相伝(紹鴎の最晩年の弟子だったため相伝を利休から受けた。)の賀を受けた前後に書かれたもの様です。

しかし、利休の権力者を利用することを憚らないやり方を剣仲は良しとせず、
純粋に茶匠として生きることを目指した剣仲は袂を分かちます。
天正十二年には剣仲は紫竹に退き、そのあと利休は秀吉によって切腹を命じられます。
そしてその間に利休から剣仲に送られた書簡の中でもっとも有名なのが

「あらきのどく いそがはしさ湯にても茶にても無之候 うき世のすきハ無之候 貴所の御すまいうら山しく候」

と、かかれた「うらやましの文」です。
利休が剣仲に対して、自分とは違う生き方をうらやんで書かれたものではないか、といわれています。

利休の死後、天正十九年十二月。
秀吉は剣仲を聚楽に召して茶堂を命じますが剣仲としては
秀吉に召するも、利休の後の茶をするのも望むところではなかったため直ぐに下野してしまいます。

これから先は藪内家茶室「燕庵」を交えたお話になっていきます。
下の写真は藪内流、土風炉(中)の灰形となります。
藤灰をつかった真っ白なもので一度使えばまたきれいに灰を直さねばなりません。
こうした灰形が古くから続けられているのも藪内流の頑固な初代の性格あってかもしれませんね(私見です)(笑)

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Author:eag-tea-maker
easy auction & gallery tea makerは『道具屋』ではありません。
最も重点を置いているのは美味しいお茶を飲むこと。
その為には多くのお茶をする人の手助けをさせていただいております。http://eag-tea-maker.net/index.html

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